奈良県には東大寺の大仏や薬師寺をはじめ、歴史的な観光名所がたくさんあります。
奈良時代、奈良には「平城京」という日本の首都がありました。この平城京にゆかりのある歴史的な建造物は、古都奈良の文化財としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。
この記事では、世界遺産に登録された古都奈良の文化財について紹介しています。
古都奈良の文化財
平城京について
710年に奈良に新しい都、平城京(へいじょうきょう)が誕生しました。平城京は10万人が住んでいたという大都市で、都には東大寺をはじめ多くの寺院が建てられました。
世界遺産の構成資産
古都奈良の文化財の構成資産は次のとおりです。
- 平城宮跡(へいじょうきょうあと)
- 東大寺(とうだいじ)
- 興福寺(こうふくじ)
- 春日大社(かすがたいしゃ)
- 春日山原始林(かすがやまげんしりん)
- 元興寺(がんごうじ)
- 薬師寺(やくしじ)
- 唐招提寺(とうしょうだいじ)
これらの平城京にかかわる寺社や遺跡、文化的景観などが、世界遺産の構成資産として登録されています。
古都奈良の文化財の一覧まとめ
1. 平城宮跡(へいじょうきょうあと)
平城京は、唐の長安京をお手本にした約25キロ平方メートルの大きさの都です。この平城京の中で、天皇の住まいがある場所を平城宮といいます。
平城宮の跡地は現在、平城宮跡歴史公園となっていて、大極殿や朱雀門が復元されています。
2. 東大寺(とうだいじ)と大仏
724年に即位した聖武天皇が、平城京に東大寺を造営しました。
当時は飢饉や疫病、乱で多くの人たちが苦しんでいたため、仏教の力で国家を見守ろうと、東大寺の大寺院を建てました。
こちらは東大寺の大仏殿(金堂)です。東大寺の大仏殿(金堂)は、世界最大の木造建築です。
大仏殿は、源平の戦いで焼き討ちにあって消失する前は、現在のおよそ1.5倍の大きさでした。大仏殿の中には、14.7メートルの高さの大仏(奈良の大仏)がまつられています。
東大寺の大仏づくりには、当時の日本の人口の半分の数である、のべ260万人がかかわったとされています。
3. 興福寺(こうふくじ)
平城京に都を移すときの中心的人物であった、藤原不比等が、厩坂寺(うまやさかでら)と呼ばれる寺を平城京に移して、興福寺と名付けます。興福寺は、平安時代に繁栄した藤原氏の氏寺(菩提寺)になりました。
興福寺の国宝館には、天平時代の彫刻で有名な、国宝の阿修羅像が展示されています。
4. 春日大社(かすがたいしゃ)と春日山原始林
春日山は、古代から聖なる山として信仰の対象でした。春日山のふもとにある春日大社は、平城京を守護するために建てられました。
春日大社のまわりの春日山原始林は、聖域として保護されています。また春日大社の宝物殿には、源頼朝が寄進したとされる鼉太鼓(だだいこ)が展示されています。鼉太鼓は、舞楽演奏に用いられる太鼓で、鎌倉時代につくられた、世界最大級の太鼓になります。
5. 元興寺(がんごうじ)
元興寺は、日本で最初のお寺である飛鳥寺を、718年に平城京へ移転して、新築されたものです。
6. 薬師寺(やくしじ)
薬師寺は、奈良の7大寺のひとつです。薬師寺は、当初は藤原京に建てられましたが、718年に平城京に移されました。
薬師寺の金堂や講堂、三重の塔は左右対称につくられていて、金堂には薬師三尊像がまつられています。
7. 唐招提寺(とうしょうだいじ)
律宗の開祖、鑑真のために建てられたのが唐招提寺です。
鑑真は仏教を広めるため日本に招かれた、唐の高僧になります。
世界遺産の古都奈良の文化財まとめ
平城京の後、時代は平安に
飛鳥時代から奈良時代は、都を移すこと(遷都)がさかんに行われた時代でした。
平城京のあとで、都は長岡京へうつりますが、その10年後、京都に平安京がつくられて以降、千年以上つづく平安時代の幕開けとなります。
周辺のその他の観光スポット
奈良周辺には、歴史的な史跡や観光名所がたくさんあります。